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2014年

小山さん

今回ご紹介する小山さんは、不妊治療経験の話、リノベーションの話など、独自のご経験をお話いただき、とてもエネルギーを頂きまして、インタビューをお願いしました。近しい経験を持つ方やこれからお考えの方に届きますように!(インタビュー by椿)

小山さん

小山さん

プロフィール

・氏名: 小山 佐知子

・会社名:ライフキャリア・シナジーLab

・役職名:代表

・職種: 人材業(ライフキャリア支援事業) 

・簡単な経歴:

2004年大学卒業後、株式会社マイナビに就職。首都圏の私立大学の学生募集・広報のコンサルティング営業、雑誌編集に従事。28歳で管理職を経験し、予算管理や各種プロジェクト、自社の人材採用など幅広く経験を積む。26歳のときに11歳年上の夫と結婚。30歳のときに男性不妊が発覚し、不妊治療と仕事の両立という壁にぶつかる。この経験から働き方や女性のキャリア形成に興味を持ち、退職しフリーのライター、セミナー講師として活動を開始。働く女性の妊活コミュニティ「妊きゃりプロジェクト」を立ち上げ、妊活支援に従事した。4年間の不妊治療を経て、2014年に第一子を出産。その後、大手広告会社でのマーケティング開発を経て2016年ライフキャリア・シナジーLabを創業。個人向けキャリアコンサルティング、企業研修等を開始。2017年9月『共働き未来大学』ローンチ。 

・居住地:さいたま市 浦和区

・ご自身の年齢 :1981年生まれ  35歳

・お子様の年齢 :  2014年生まれ 3歳(男)

・ワークスタイル: 企業等の訪問・オフィスワーク・在宅勤務など内容によって柔軟に対応

現在のお仕事の内容、ワークスタイルを簡単に教えてください。

2016年6月にライフキャリア・シナジーLab ( http://lifecareer-synergy-lab.comを創業しました。人材業を中心に仕事をしてきて、自分自身のキャリアもライフステージに応じてさまざま変化してきた経験から、100年生きる時代のライフキャリア形成・支援を生涯のテーマにしていきたいと思い、使命感を持って起業しました。

①個人向けライフキャリア支援事業 ②法人向けコンサルティング・採用研修支援事業 ③コミュニティ運営『共働き未来大学』( https://tomobataraki-mirai.jp ) という3つの柱で展開しています。

取引先企業の人材採用・働き方コンサルティングや研修、そして個人向けキャリアコンサルティングは、フリーランサーらしく“スキルで勝負” なシーンが多いのですが、『共働き未来大学』の運営については、プロボノメンバー7名の力を借りてチームで取り組んでおり、パラレルキャリアを自分らしく楽しんでいます。

最近、築19年のマンションを購入→スケルトンリノベーションし、「子育てと在宅ワークを楽しむ家づくり」というコンセプトのもと空間を大改装しました。フリーランスの私はもちろん、会社員の夫も、“時間や場所に限らず仕事ができる”時代の好環境下、いかにワークとライフを楽しみながら成長していくかが家族の大きなテーマになっています。

模型や雑誌を使ってリノベーションの打ち合わせ

模型や雑誌を使ってリノベーションの打ち合わせ

平日1日のスケジュールを簡単に教えてください。

4:40 起床、メールチェックや前日の残務、原稿執筆等

6:00 朝食作り(基本和食)後、6:30には全員で朝食

8:15 自転車で5分の保育園に到着

8:30〜17:00 コアタイム

*仕事内容によって外勤or内勤。内勤時は借りているシェアオフィスのほか、自宅兼ワークスペースも活用し少しでも早くお迎えに行けるよう効率化を図っています。

17:00〜17:45 保育園お迎え

18:30 息子と2人で夕食→お風呂

20:00 夫帰宅 家族だんらん 絵本読み聞かせなど

  • 寝落ち率50%。寝てしまったら翌朝3時半ごろから作業開始

21:00 家事や読書、一人お風呂など自由時間

*たまにzoomにてプロボノとオンラインmtgすることも

22:30 就寝

小山さんと息子さん

小山さんと息子さん

出産して、何が一番変わりましたか?

子どもの笑顔を中心に、私の実家の家族と夫の家族みんなが大家族のように仲良く集う機会がより増えました。

ワーママとして育児&仕事をしていて良かった~!と思うHappyなエピソードを教えてください。

「ワーママである私」を意識することはほとんどなく、時と場合によっていろいろな顔の「私」を楽しんでいます。そういう意味では、世界が広がったというか、家族やパートナーはもちろん、仕事仲間や地域の方がた、保育園の先生やシッターさん、ママパパ友、共働き未来大学の関係者など、さまざまな人たちの中で支え支えられながら“生かされている”ことを実感しています。

育児&仕事をしていて大変なことはありましたか?それは何ですか?

2015年夏にリクルートのベビー&マタニティ領域(妊すぐ/赤すぐ)にジョインしました。久々の会社員生活の始まりでしたが、育休復帰とは異なり初めての職場のため、仕事を覚えたり人間関係を構築したりといったこと全てがゼロからのスタートで、最初の1,2ヶ月は心身ともにかなりハードでした。息子がまだ生後10ヶ月だったこともあり、1歳過ぎまでの辺りが一番よく熱を出したり、保育園から呼び出しが来ることも多かったので、毎日本当に気が張っていて綱渡り状態でした。それを考えれば3歳になった今は嘘のように楽ですね。

それをどうやって解決していますか?

基本、子どもも親も、毎日一生懸命生きていれば自然に成長するもんだな〜と実感しています。パートナーや家族との“チーム育児体制”や“パートナーシップ”があれば、解決する必要があるだいたいのことはチーム力でカバーできています。

育児と仕事、それぞれで一番大事にしていることは?

“どっちも”楽しむ!思う存分やる!という軸をブラさないこと。軸ブレと手を抜くことは違うので、育児仕事どちらも疲れたら適当に休んだり、第三者の手を借りながら、基本、ママ(パパ)が笑っていると子どもはすくすく育つと思っています。

不妊治療をされていたとのことですが、どのような治療だったのでしょうか?また不妊治療に踏み切った背景も教えてください。

最終的に顕微授精で息子を授かりましたが、4年間の妊活期間は、検査を経てタイミング指導→人工授精→体外受精とステップアップしていきました。一概に「不妊治療」といってもカップルの数だけやり方があるのですが、我が家は男性不妊による治療だったので、途中、夫が精索静脈瘤の手術をしたり、夫婦ともに心身擦切れるほど頑張りました。出産し、育児期に突入してからのパートナーシップがスムーズかつうまく行っているのは妊活期間中に2人で協力して同じ目的に向かって頑張った経験があるからだとつくづく思います!

会社員からフリーに転向したのは、なぜでしょうか?

ライフイベントと働き方はセットで考えることだなとつくづく思います。フリーになりたかった(目指していた)というより、会社員時代は“24時間戦えますか”的な企業戦士の働き方に限界を感じて、そんな時に不妊症の診断を受けたので、細く長く働き続けるためにこの働き方を選んだ形です。今はフリーといっても、会社員と同じように組織の名刺をもって会議に参加したりしながら働いているので、「フリーランス=孤独」という感覚は全くなく、いくつものプロジェクトを自分の裁量で同時に回しているのでとても楽しいです

プレゼン中の小山さん

プレゼン中の小山さん

「共働き未来大学」の立ち上げの背景、これからの活動について教えてください。

20代は仕事人間で、持ち前の体力も相まって文字どうりバリバリ働いていましたが、青天の霹靂で不妊治療をすることになり、夫婦の絆が試されました。「100年ライフ」とも言われる時代ですが、働き方もさることながら、やはり家族(パートナー)が力を合わせて生き抜く力が今の時代とても試されているように思います。

「共働きって辛いよね、しんどいよね」…。

そんなネガティブな事実やイメージを少しでも変えていきたいというのが、このプロジェクトを立ち上げる原動力となりました。一様に「共働き」と言っても、家族の数だけ家族の「らしさ」があります。特に子どもがいる共働き家庭はみなさん大変なことは伴いますが、それでも楽しんで仕事も育児もこなしている人たちをたくさん見てきました。そんな多様なロールモデルとも言える事例をもっと世の中に伝えて、これから社会に出て行く若い世代が、憧れをもって「仕事も子育ても楽しみたい!」と言えるような社会を作っていきたいと思っています。

最後に、メッセージをお願いします。

私が大切にしている言葉に「意志をもって流される」があります。

何でもかんでもガチガチにルート検索してそこまでの道のりを計算してゴールを目指すよりも、時には気ままに思うがままに一歩踏み出し、自分らしく歩んでいたら望んでいた以上の世界にたどり着けるという私自身の成功体験があります。 意志を持つこと、そして種をまきつづけることでご縁や機会はどんどん集まってくるのではないでしょうか。

2017年11月28日 0 comment
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ご自身が描いた絵と、ルミコさん

今回のインタビューは、フリーランスとしてアーティスト業とNPO活動とママ業をこなすルミコハーモニーさん。

小さなお子さんたちを連れての、旦那さんの赴任による1年間のブラジル暮らし、言葉もわからない中で、どう乗り越えたのか。

また、帰国後に始めたアーティスト業やNPO活動についても、ここ1年でパワフルに活動されている模様をご紹介いただきます。

転勤族の妻であるワーママさん、少なくありません。

場所が変わっても活動し続けるパワー、元気をもらえるはずです!

 

 

ご自身が描いた絵と、ルミコさん

ご自身が描いた絵と、ルミコさん

 

プロフィール

・氏名:ルミコハーモニー

・肩書:アーティスト/NPO法人副理事長/コンサルタント

・簡単な経歴:

フィンランド人と結婚後ブラジル一年逗留。3児出産後、2015年10月よりアーティストとしてのキャリアをスタート。同時にNPO法人ザ・グローバル・ファミリーズを設立。過去のインタビュー記事

・居住地:横浜

・ご自身の年齢 :35歳

・お子様の年齢 :4歳、2歳、1歳

・ワークスタイル:フリーランス

 

初めて貰った仕事の紙芝居

初めて貰った仕事の紙芝居

 

現在のお仕事の内容、ワークスタイルを簡単に教えてください。

アーティスト業とNPO活動とママ業が三位一体となったワークスタイルです。日々の様子はinstagramに、仕事情報は自分のWEBに、その他情報発信はfacebookに随時UPしてます。

  • アーティストとして

物語を圧縮して表現する、メインビジュアルやオリジナルキャラクター制作を展開しています。また、物語をより味わって頂くために、アートワークショップを開催したりしています。

一番最初に頂いた仕事は、産後ママの体力をメンテナンスする体力メンテナンス協会からの依頼で、産後ママがバランスボールで楽しくなっていく紙芝居の絵を描きました。その紙芝居が絵本化されたり、作画したママイベントのメインビジュアルが「家族の心をつかむデザイン」というデザイン本に収録されたり、活動が拡がっていって嬉しいです。

最近では、日本財団のプロジェクトやオーガニックイベントでの絵のコンテストのメインビジュアルやアートワークショップが進行中です。北欧イベントのプロデュースや来年度は大学での講和も予定しています。

第1回オーガニックライフスタイルEXPOにおける第1回キッズアワード~ぼくのわたしの食べ物の絵コンテスト~のメインビジュアル制作及びコンテストの審査員

http://kidsaward-food.strikingly.com/

〇日本財団助成事業「郡山・暮らしづくりビレッジ」のメインビジュアルやアートワークショップ

http://www.kurashivillage.jp/

〇国際結婚の連載(イラストも描いてます)

http://tokyowise.jp/rensai/international-marriage

  • NPO法人ザ・グローバル・ファミリーズの副理事長として

約1年前に設立した”親子で国際交流”を支援するNPO法人ザ・グローバル・ファミリーズは、2 大軸で活動しています。1つ目は「グローバルおさんぽ」と称して、一日家族デートのマッチングを無償で提供しています。2つ目は、英語で実施する様々なアクティビティイベントです。港区の助成を一部頂き、港区のドラマスクールTokyo Beesと一緒に和文化を取り入れた、音楽と芸術のワークショップを2016年10月~2017年3月まで実施しています。概要や申込はこちらから

活動開始以来、非常に多くの人々に共感して頂き、猫の手も借りたい程充実しています!また、設立数カ月後には雑誌”AERA”に活動が掲載され、半年後には首相公邸にて50ヵ国以上の大使館夫人に和文化をお伝えする機会に恵まれる等、多くのニーズに対応しています。

今では、意識の高い系ワ―ママのみならず、大学生や子供がいないビジネスウーマンにも、NPOの活動を手伝いたいと言って頂ける事が多くなってきました。自ら何かもっと社会に貢献して生み出していきたいという意欲が、ちょうどNPOの活動を通してより充実感のある日々になっているようです。一人でも多くの方々が輝ける機会を、これからもどんどん生み出していきたいです。

是非この機会に皆さん、NPO法人ザ・グローバル・ファミリーズの活動に参加してください!無料登録ユーザーになって、グローバルおさんぽやイベントに参加したりも出来ますし、運営ボランティアに参加したいなど、お気軽にコンタクトしてくださいね。詳細はこちらに。

 

平日1日のスケジュールを簡単に教えてください。

6:00 起床、家事、朝食

9:00 アート制作

12:00 昼食

13:00 打ち合わせ(子連れ)

16:00 子どもと公園

19:00 夕食・入浴

21:00 就寝

 

出産して、何が一番変わりましたか?

母として、妻として生きる前に、自分として生きる大切さを見出せました。

ガツガツしたバリキャリタイプだったので、周囲には結婚すらしないとさえ思われていました。が、実際に子供が生まれてみると、平日は朝預けて夜お迎えしてご飯食べさせて寝させる…そんな多忙な生活がしっくり来ず、専業主婦としてという可能性も考えました。しかし、そう考えた時に、目の前が真っ暗になりました。私は、誰かの妻とか誰かのママだけで生きて行くのは、どうやら出来ないと分かりました。産後直ぐ絵を描き始め、少し自信が持てると笑顔になれました。毎日楽しく笑顔でいれると、子供達も親の背中を見て自分を持って生きてくれると信じています。

また、極度の悪阻や3度の出産・授乳期を経験して、体調不良の辛さを経験することで、寛容になることが出来たように思います。自分ではどうしようもないトキがあることを学びました。子ども達と暮らしていても、調子の良い時、調子に乗り過ぎる時、イヤイヤな時と様々な事情が其々あります。寛容になればそのトキを楽しめるのだということが分かりました。

 

ワーママとして育児&仕事をしていて良かった~!と思うHappyなエピソードを教えてください。

ママの絵を見て、「ママの絵良いねぇ~」とシミジミ子供が言ってくれたり、自ら絵を描いてくれる様を見ていると、本当に良かったと思います。

 

育児&仕事をしていて大変なことは何ですか?そしてそれをどうやって解決していますか?

どうしても集中して作業時間を取らなければならない事がありますが、それは家族に週末など子供の面倒をみてもらったり、夜中や朝早く作業するように工夫しています。

折角渋谷区の認可保育園に0歳で長女を入園出来たのに、1年後ブラジル長期滞在の為、泣く泣く退園しました。この保活難の時代に!

更に、2児の幼児を抱え妊娠12週で帰国したのは、3月中旬。結局、実母に関西から来てもらい同居することにしました。最初は子供達を9時~18時まで面倒みてもらって、バリバリ仕事する気満々でした。が、実母も70歳と高齢で疲れることから、今は一日数時間作業させて貰えれば有難いという感覚に変わりました。同居開始半年はかなりバトルしました。今も同居するのはちょっという方多いのでは無いでしょうか?ただ、私の場合は、数時間でも面倒みてもらわなければ、自分の生活が立ち行かないことから、かなり譲歩しました。

発想の逆転で、積極的に子供3人と公園に行っては、子供と触れ合うことを楽しむことにしました。良く考えればそれはほんの数年の事ですから。そしてその体験から、アイディアを発想していってます。ある意味、積極的公私混同と言いますか、子育ての経験を仕事化していくことにチェンジして行ったのです。良く「どうマネジメントしたらそんなにアクティブになれるの?」と聞かれますが、案外公園で子供たちを眺めながら、イベント企画実現のための交渉やPRまで携帯一つで出来ちゃう時代だからでしょうか。。

 

9月に第3子の1歳のバースデーパーティをした時

9月に第3子の1歳のバースデーパーティをした時

育児と仕事、それぞれで一番大事にしていることは?

大切にすることは、育児も仕事も共通してます。

毎日幸せと思えること。

ずっと、”Happiness is”という問いが頭をぐるぐる回っています。幸せになるための20のこと<HAPPINESS IS…..>にまとめてます。

日本人は勤勉で謙虚であることを美徳として育てられているので、現状を幸せと思える人が少ないのではないでしょうか。少なくとも、私はその最たるものでした。北欧男子の夫との生活の中で、如何に日々の幸せを大切にすることが大切かを再発見することが出来ました。

親が幸せであれば、別段これといって子供達に力む必要はなく、親の背中を見て子供は育ちます。寧ろ、本人達の自発性に委ね、それに寄り添うくらいです。

工夫すること。諦めないこと。

人生は3つの坂があると思います。登り坂、下り坂、そしてマサカ!です。上り調子の時も、マサカという気持ちを忘れず、様々な状況をシミュレーションしますし、低迷期や落ち込むことがあった時も、マサカな逆転を期待して出来ることを積み重ねます。

例えば、北欧男子の夫は結婚時貯金ゼロだったんです。それどころか、結婚とか出産ってお金掛かるの??といった具合です。今後貯金の発想が無い人だとと非常に不安になりましたが、”0円育児”という本を書こうと思ってるくらい、お下がりで99%育児グッズが揃いました。

 

急なブラジル赴任による見知らぬ土地での生活、どう乗り越えたのでしょうか?

未知の不安を、挑戦してみて克服しました。

「産後3ヵ月のベイビーを連れて、ブラジルへ行く」と言うと9割の人が難色を示しました。なんだか危なさそうだし、衛生面も不安という理由で。でも、私はこういう風に考えました。“そこにも暮らしている人がいるから、暮らせないことは無い。”

実際行ってみて、確かに「ポケットに50レアル(約2,500円)入れとけ」と助言され、身の危険を感じました。それは、強盗が銃を突き付けて脅した時に、さっと渡せるよう準備をしなさいということだから。その金額が多過ぎても少な過ぎてもダメで、撃ち殺されてしまうそう。でも、ベイビーと行動してたので、明るい日中にしか出歩かないし、ベイビーを抱っこしていると印籠持ってる感がありました。きっと強盗もベイビーの前では天使になってしまうのかもしれません。それくらい、ブラジルはベイビーに愛が溢れていました。

現地の言葉はポルトガル語で、一言も分からない状況で行きましたが、フレンドリーなブラジル人がどんどん話し掛けてくれるので、半年後には市場で買い物が出来るようになりました。また2歳の娘がネイティブレベルに吸収したので、翻訳してくれました。「ママは分からないから」と。現代では、ネットさえあれば、翻訳したのを見せることが出来るのも助かりました。

雨が降れば停電し、肉と果物以外は高額な税金のお蔭で物価高で、日本なら簡単に安くて良いモノ手に入るのに~ともどかしさを覚えたこともあります。しかし、期間限定と割り切れれば、全く別世界での経験は楽しむことが出来ました

ブラジルで、愛は何よりも大切なことで、愛を表現することの素晴らしさを学びました。また、日本人ということで沢山話し掛けられ、世界において日本人が愛されていることを実感することが出来ました。子連れで海外で生活するのは、非常に面倒くさいし躊躇してしまいがちです。しかし、実際に行ってみると、南米は子連れで行くべきとさえ思える程の魅力を感じました折角のチャンスが目の前にある時、恐れることなく挑戦してみれば、そこに立つことで見える景色は異なって来るように思います。

がんばり続けれる秘訣はなんですか?

きっと自分には何も無いという思いが根底にあるんですね。別段目を見張る才能も無ければ、強力な両親のバックアップがあるわけでもなく、逆にコツコツ同じことを続けることは苦手なんですけれど。ただ、20歳くらいから、徐々に、自分が何も無いことをまず受け入れ、無いなら自分で積極的に取りに行くように人生を転換しました。何でも興味を持ち、なんでもやっていくと、思わぬことがひょいっとつながってハーモニーが生まれる。失敗しても、その失敗こそが次の成功につながる貴重な経験だと考えられるようになり超ポジティブシンキングになってからは、出来るだけ多くのことをやりたいという気持ちが膨らみ続けています。手を出し過ぎて、オーバーワークになると、一つ一つが零れ落ちて行ってしまうし、本来自分のやりたくない事にもどんどん支配されていくようになります。そんな時は、少し立ち止まって、自分の心に耳を傾けます。本当にやりたいことは何か、そのためにはどういうチームを組めば自分の価値を最大限生かせるかをしっかり考え、チームを編成していくのです。だから、大抵は自分のやりたいことなので、頑張り続けられます

 

 

今後の目標やプランを教えて下さい!

様々なアイディアを多くの人に届けたいので、それは絵だったり、本だったり、イベントだったりしていくと思います。ポッドキャストもやって~と言われるのですが、、、相方がいれば…と思ってます。

 

 最後に、メッセージをお願いします。

昔はいつかの幸せのためにと、日々の生活はないがしろにしていましたが、今は一日一日をどう幸せに生きるかに注力しています。多分、今を生きることが人生だと思います。

2016年10月20日 0 comment
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