プロフィール
・氏名:田中祐希 (たなかゆき)
・会社名:株式会社ナイガイ
・役職名:経営企画室
・職種:スポーツ・ファッション手袋のOEMメーカー。
・簡単な経歴:北海道出身。大学卒業後、株式会社サイバーエージェントに入社。営業、新規事業立ち上げ、金融事業の運営・管理に携わる。その後、IBMビジネスコンサルティングサービス(現、IBM Japan)に入社し、戦略コンサルタントとして国内外企業の戦略立案等に携わる。2013年にミクシィに入社。子会社ミクシィ・リサーチの社長を経て、その後事業を一部上場企業に売却。結婚を機に退職。現在は香川県にある手袋OEM企業・株式会社ナイガイにて経営企画に従事。2016年より約1年半アメリカ現地法人Naigai Gloves Americaにて駐在し、2018年7月に帰国。アメリカ駐在中に長女を出産。
・居住地:香川県
・ご自身の年齢 :36歳、1981年
・お子様の年齢 :0歳、2018年生まれ
・ワークスタイル:現在、育休中。復帰後は時短からフルタイムに暫時切り替え予定。
現在のお仕事の内容、ワークスタイルを簡単に教えてください。
株式会社ナイガイ(http://www.naigaijp.com/)の経営企画室に所属し、企業戦略の立案、企業内の課題発見・解決に向けた活動に取り組んでいます。
株式会社ナイガイは1954年に創業したスポーツ・ファッション手袋を中心とした企画開発・製造を行うOEMメーカーです。本社がある香川県の東かがわ市は”うどん県てぶくろ市”と呼ばれるくらい、歴史的に手袋産業が盛んな地域で、ナイガイは数ある手袋会社のうちの一つです。 アメリカのメジャーリーグ野球で活躍している大谷翔平選手のバッティング手袋も、弊社が製造し、OEM提供しています。
平日1日のスケジュールを簡単に教えてください。
※育休後の想定スケジュールです
6:30 起床・準備・朝食
8:00 出勤・保育園へ登園
8:30 始業
17:30 終業・お迎え・買い物
18:30 帰宅・夕食準備
19:30~21:30 夕食・お風呂・寝かしつけ・家事・自分タイム
23:30 就寝
出産して、何が一番変わりましたか?
母としての役割・環境の変化を通して、家族というものの見え方が変わりました。
特に、娘に接する親の姿を見て、自分が幼すぎて忘れてしまった注がれた愛情の深さや、子を想う親の気持ち、お世話の方法等々を追体験しています。それを見て両親に対して感謝するとともに、自分が成長の過程でしてきたことに対して反省をしたり・笑。そして、親が自分にしてくれたこと、それをきちんと自分の子どもにも伝えていこう、と強く思うようになりました。
そして自分自身が母親という背中を見せる役割になったので、娘に恥じないよう人生を楽しく誇れるものにしよう!という気持ちが強くなりました。
サイバーエージェント入社後、新規事業(ここで椿と同僚でした!)、コンサル、留学、転職、社長からの売却、、、、そして地方に嫁ぐまでの、かなりモリモリな道のりをなぜそれを選択したかと一緒に簡単に教えて下さい!
たしかに改めて言われるとモリモリ感ありますよね・笑。でも自分の中ではすべて一本のストーリーでつながっているので、大変だったなという気はしていません。
大学時代からベンチャー企業(初期のCOOKPAD、マクロミル)で働いていたこともあり、インターネットという技術イノベーションが世の中を変えていくこと、それに伴い会社が大きくなっていくことにおもしろさを感じました。世の中に新しい価値を提供すること、イノベーションで世の中を変えることの醍醐味を覚えてから、一貫してそれを実現するためのキャリアを歩んできたつもりです。
新卒のサイバーエージェント時代に、複数の新規事業に参加したのも、自らが新しいサービスを提供したいという考えのもとでしたし、戦略コンサル時代も当初は大企業の新規事業戦略専門チームに所属して、徹底して新規事業のケースを見て新しい価値を生み出す現場の支援をしました。コンサル時代に留学をしましたが、これもグローバルにビジネスができるようなスキルを身に着けるためです。ミクシィ時代は前職の経験を生かして、子会社の経営に携わりましたが、これも自らの組織が新しいサービスを世の中に提供していくため。事業売却は売却先となる企業とのご縁があり、より事業が良くなる環境になると信じ、踏み切りました。そして、嫁ぎ先の手袋OEM会社では今までの経験も活かし、モノづくり×ITにチャレンジできる環境がある。
自分の中で軸となるものがあり、それを太くするための選択をした結果、気づけばモリモリなキャリアになってしまいました。
なぜ東京でのキャリアから離れて、地方に嫁ぐことを決めたのですか?
直接のきっかけは結婚です。たまたま現在の夫が実家の家業である手袋屋(現在働いているナイガイ社)を継ぐために実家の香川県に住んでいたので、結婚を決めると同時に、香川に住むことを決めました。会社や友人たちからは東京に住んだまま結婚生活をしたら、と言われたこともありますが、家族になるのだから、より多くの時間を一緒にいたほうが人生楽しいと、考えていたので、迷わず東京生活に別れを告げました。
ただ、地方に嫁ぐことを決めたのには他にも理由があって。もともと北海道から上京してきた身なので、東京の生活に飽きてきたこと。子育てをするなら自然の多い場所が良かったこと。そしてグローバルに展開している家業の手袋屋で働くことで、地方でも自分のキャリアが継続できること。これらのことから地方に嫁ぐことには抵抗がなかったです。
地方に嫁いでからのUS進出。何を狙い、どのような活動をしていたのですか?
もともとアメリカのロサンゼルスに営業所があり、駐在という形で1年半ほど働いていました。多くのスポーツブランドの本社がアメリカにあること、またスポーツの最大の市場はアメリカであることから拠点を置いています。私のミッションは、既存顧客の維持・取引拡大と新規顧客獲得の種をまいてくることと、新分野の開拓でした。
既存顧客については、現地の社員とともに営業活動やそれをサポートするリサーチ活動を行っていました。また、情報が集約する展示会やカンファレンスも数多く開催されていたので、参加して最新のトレンドを学んだり、潜在顧客については直接話しをしたりと、手袋の提案機会をうかがっていました。
新分野の開拓については、土地柄シリコンバレーも近く、また私のキャリアバックグラウンドがITということもあり、手袋とITを組み合わせて何かできないかを模索しました。詳細はお話しできませんが、スタートアップや大企業との協業の話しができ、新しい世界が見えてきそうです。
US出産からの育休、そして復帰後の今後について教えて下さい。
1年半の駐在中に娘を授かることができました。出産後は数か月アメリカに滞在し、今年の7月に日本に帰国しました。来年の娘が1歳になるタイミングで仕事に復帰する予定です。
復帰後はアメリカでまいてきたビジネスの種を育て、創業100年に向けて新事業の育成を推進していくこと、そして既存事業の世界シェアを拡大させるための組織・体制・戦略づくりをしていくことに注力したいと思います。
留学に地方嫁ぐのもUS出産も、全体的に決断が大胆ですよね。大胆な決断に影響を与えているますゆきの源となる経験や要素、モットーのようなものはありますか?
もともと好奇心が旺盛なので、”何事も経験してみる。その経験は全て人生の糧となる”というのが、考え方の根底にあります。そして自分の軸となる野望や価値観はしっかりもちながら、水のようにしなやかに環境の変化に応じて形を変えていけば、その中でチャンスは巡ってくるのだと思っています。
今後の目標やプランを教えて下さい!
現在は育休中ですが、まもなく新たな挑戦である仕事と家庭の両立ステージに入ります。パワーママプロジェクトで紹介されている多くの先輩方のように、自分の人生+子どもと夫の人生の支援ができるよう、試行錯誤していきたいと思います。まずは、自分なりのペースを作って回すことが目標です。
仕事上では、手袋を通して人類のパフォーマンスを向上できるようなモノづくり、ITと組み合わせたコトづくりに挑戦したいと思います。
そしてそんな挑戦をしている母の姿を娘に見せて、「ママ、かっこいい!」と言ってもらえたら最高に幸せですね。
最後に、メッセージをお願いします。
ママになることって、こんなに幸せで大変で素晴らしいことなんですね。なってみて初めて知りました。母親の笑顔が家庭を明るくし、家庭が明るくなれば世の中が明るくなる。そう信じています。
人を産むのは女性、世の中を変えられるのも女性。結婚・出産・介護などいろんなことが起こりますが、自分の人生をあきらめることなく、楽しみながら生きる女性がパワーママプロジェクトを通してこれからも増えていってほしいなと思います。
インタビュー by 椿