今回インタビューのパワーママは、グローバル企業の日本法人をまとめるホールディングスカンパニーの広報トップとして、原色系のファッションに身を包み、流暢な英語でバリバリ交渉する強いイメージの女性。実は16歳の息子さんがいらっしゃいます。ご実家の手を借りながらも、シングルで子どもを産み育て、キャリアアップもされたその強さの秘密に迫ります。
プロフィール
・氏名:大津 愛
・会社名:AIGジャパン・ホールディングス株式会社 http://www.aig.com/
・役職名:ジャパン ヘッドオブ コーポレートコミュニケーションズ
・職種:広報
・簡単な経歴:関西の大学を卒業後、地元企業に就職。海外経験(小2~3年生、高2~3年生)を活かせない仕事であることと、女性の昇進は係長までという環境を嫌い、2年後に退職し、東京に出て通訳の仕事を始める。
フリーの通訳から企業内プロジェクトの通訳となり、通訳の仕事を通算で10年ほど行う。AIGスター生命(現ジブラルタ生命)の当時の外国人社長から、「ビジネスを教えるからコミュニケーションを助けてくれ」と請われたのがきっかけで、ビジネス分野に進出。社長が代わるタイミングで社長室長に就任し、マーケティング調査、事業提携、広報などを担当した。その後同グループのアリコジャパンの広報部長(AVP《アシスタントバイスプレジデント》)として活躍するが、メットライフに買収後AIGグループに戻り、AIUのCCO(チーフコミュニケーションオフィサー)となる。2012年よりAIGジャパン・ホールディングス(以下AIGジャパン)の広報渉外本部AVPを兼務するようになり、2013年にAIGジャパン専任に。10月にAIGジャパンのジャパンヘッドに昇進。
・ご自身の年齢:44歳
・お子様の年齢:16歳(1997年生まれ)
・ワークスタイル:フルタイム
現在のお仕事の内容を簡単に教えてください。
AIGグループの、AIU、富士火災、アメリカンホームなど日本で事業を行う会社の各社広報の監督と、各社間をまたがる広報・CSR活動の企画、AIGのスポンサーシップ、マネジメントコミュニケーションなどを行っています。
平日1日のスケジュールを教えてください。
6:00 起床
野菜ジュースを作って飲む
朝食(パン、コーヒー)
ストレッチ(たまにゴルフの素振り)
ニュースのチェック
7:30 家を出る
8:30 会社到着
9:00~ NYとの電話会議2件
11:30~ アジアパシフィックとの電話会議
12:00~ ランチ(がっつり食べる)
14:00~ 会議など
18:00~ 作業
19:30 会社を出る
20:30~ 自宅で夕食(サラダとパン)を食べながら、音楽を聴きながら仕事
24:00 就寝
*息子は現在高校の寮に入っています。ただ、息子は小学校高学年からは自分で準備して家を出ていました。
*家事は週末にまとめて実施しています。
シングルマザーという選択をされたのはなぜですか?
結婚しようと思っていたのですが、妊娠6ヶ月の時に相手と別れてしまったため、結婚せず出産しました。28歳の時です。
出産して、ご自身の内面では何が一番変わりましたか?
そういう状況でしたので、まず生活への不安が湧いてきました。大阪での結婚生活を開始するため、東京での通訳の仕事を辞めてしまっていました。貯金がどんどん減っていくのを見て、なんとしても仕事を再開しなければならないと思いました。
シングルマザーは当時珍しかったですし、産院では周りが夫婦で子どもの誕生を喜んでいる中大変な孤独感を味わいました。しかしその後は逆に、子どもの存在が私に一人ではないという安心感を与えてくれたので、孤独だと感じたことはありません。独身の友達からは、子どもがいることを本当に羨ましがられますよ。
ワーママとして育児&仕事をしていて良かった〜!と思うhappyなエピソードを教えてください!
私は派手な格好とはっきりした物言いのため、「何なのあの子は」と思われることが少なくなかったのですが、子どもがいると伝えると、特におばさん達から「あなた頑張っているのね!」と一気に受け入れてもらえることができ、仕事がしやすくなりました。
また、息子の存在は私の仕事を頑張ろうという最大のモチベーションになっています。彼がいなかったら、簡単にあきらめてしまっていただろうなと思うことはたくさんあります。
あと一番嬉しかったのは、保守的で、シングルマザーなんてとんでもないという感じだった祖父が、亡くなる前に「おまえは1つ良いことをした。」と子どもを産んだことを褒めてくれたことです。私は社会や家族に貢献できたのだと、誇らしい気持ちになりました。
育児&仕事をしていて一番大変なことは?
子どもが小学校に上がるまでは、子どもが病気がちで大変でしたね。月曜朝に重要な会議が入っているときに限って、子どもは私の緊張を察知してか、日曜夜に40度近い熱を出すのです・・・。
子どもが小学校高学年になった頃仕事が忙しくなり、土日も仕事で、子どもと1ヶ月に1回しかご飯を食べられない時もありました。その時は、「死ぬかもしれない」と思いました・・・。
今は、学費がこれからどれだけかかるか心配ですね。留学したいと言ったらさせてあげたいですし。
それをどうやって解決していますか(していこうとしていますか)?
子どもが熱を出した夜は、必死でベビーシッターに電話をかけました。手配できなかった時には親に頼みました(保育園が18時までだったので、遅くなると分かっている時にもベビーシッターを依頼していました。)。職場にもかなり迷惑をかけましたが、その分、仕事の質とスピードでは人一倍努力していたと思います。自分の強みと照らし合わせて、自分にしか出せない価値を見つけていくことが職場の理解にもつながるのではないでしょうか。
小学校に入ってからは急に体が丈夫になり、3年生になるとかなり自立していたので格段に楽になりました。
仕事がすごく忙しかった頃は、両親に完全に頼っていました。子どもも小学校高学年になっていたので、お腹がすいたときは自分で簡単な料理もしていたようです。
学費に関しては、一生懸命働くしかないですね(笑)。
育児と仕事、それぞれで番大事にしていることは?
・育児では・・・子どもが小さいときはすぐ怒ってしまっていたのですが、今は出来るだけ子どもの話を聞いて、客観的にアドバイスすることを心がけています。
・仕事では・・・依頼された以上のことを返すよう心がけています。例えば、2日後までに回答して欲しいと言われたら1時間で返すなど。
仕事ではスピードを大事にされているんですね。
そうですね。本来はのんびりした性格なのですが、祖母がスピードに厳しい人で、子どもの頃はいつも追い立てられていました。それで、今でも祖母に追い立てられているような気がするのです。ちなみに、派手なかっこうが好きなのも祖母の影響で、大学生の時は祖母とよく洋服を貸し借りしていました(笑)。
物怖じせずはっきり言うというところもお祖母様の影響ですか?
それは両親の影響だと思います。両親はクリスチャンで、女性だから大人しくしなさいというような日本的な価値観は持っていませんでした。また、両親の仕事の関係で、小学校2年生~3年生の時はアメリカに住んでいました。高校2年生の時は自分の意志でアメリカにホームステイし、3年生の時は両親の仕事の都合でシンガポールに住んでいました。そのような経験も影響していると思います。
ワーキングマザー(シングルマザー)としてはかなりの出世をされている方だと思いますが、キャリアアップは意識されていたのですか?
あまり意識していませんでしたが、負けず嫌いなので、いつもサービス提供先の期待を上回る仕事をするよう意識していました。
仕事(環境)をちょくちょく変えたのも、キャリアアップのためというよりは、同じ苦労をするのであれば、自分の選んだ環境で苦労したいと考えたからです。これ以上この会社に対して価値を提供できないと考えたら潔く身を引き、自分だからこそ貢献できる先を見つけるというスタンスでやってきました。
これからの目標を教えてください。
これからも、失う物は何もないというくらいの勢いで、新しいことにチャレンジしていきたいと思います。新しいチャレンジをするために環境を変えるのは、正直面倒だと思うこともあるのですが、これを嫌って保身に走ってしまうと、きっと自分は仕事が面白くなくなってしまうと思います。ルーティーンワークが苦手なのですね。ですので、そうならないように自分で自分を叱咤激励する毎日です。
サイトをご覧の皆様(ワーママ仲間)にメッセージをお願いします!
捨てる神あれば拾う神ありです。どんなに苦しくても、動くことをやめず、試行錯誤していれば、必ず拾う神が現れます!
また、巡ってきたチャンスをきちんと掴みましょう。私はAIGスター生命の当時の外国人社長から声をかけられた時、次の通訳の仕事が決まっていて、正直話を聞きに行くのが億劫だなと感じました。しかし、「そういう話は滅多にないのだから話だけでも聞きに行った方がいい」とアドバイスしてくださった方がいて、面倒だなあと思いつつも聞きに行ったのです。そうしたら、社長自らがビジネスを教えてくださるという大変ありがたいお話で、自分がやりたいことはこれだ!是非やってみたい!と思ったのです。それが私のキャリアの転機で、こうして今広報の仕事を出来ているのですから、あそこで話を聞きに行ってよかったなあと思いますね。
インタビューby只友真理、構成:HH