今回のインタビューは、アイズプラス代表の池照佳代さん。大手企業で育児休暇制度などを作ってきた彼女ですが、現在は仕事以外でも、NPOの活動などに参加し、ワーママのために日々走り回っている彼女。最近では小泉進次郎内閣府大臣政務官を交えた意見交換会で、女性が活躍できるために何が必要かを代弁してきてくれました。「いけてる」というインパクトのある名前の通り、本当にイケてる女性です。5月14日(水)のパワーママモーニング(パワモ)のゲストで お越しいただく予定ですが、パワモに先駆け、彼女の魅力をたっぷりご紹介させていただきます!
プロフィール
・氏名:池照佳代
・会社名 :有限会社アイズプラス
・職種:人材・組織開発人事コンサルタント
・簡単な経歴 :
高校卒業後、カリフォルニア大学にてTESLプログラムを修了。帰国後に英会話学校での講師・学校運営を1年経験。その後92年から05年まで、マスターフーズリミテッド、フォードジャパン、アディダスジャパンにて一貫して人事職を担当。出産をきっかけに退職後、ファイザーに再就職し、ダイバーシティや評価・報酬業務等の人事プロジェクトに従事。その後、日本ポールにて人事職を経験後に一旦退職し、06年法政大学経営大学院に入学。大学院にてMBAを取得 し在学中に有限会社アイズプラスを設立し、主に企業向けに人材・組織開発コンサルティングやプログラム提供、コーチング等を提供している。07年より認定NPO法人キーパーソン21の理事に就任し、NPO、行政、企業の協働プロジェクトを推進している。
・家族構成: 夫、中学2年生の息子の3人
☆池照さんのブログはこちらです!
☆参考
現在のお仕事の内容を簡単に教えてください。
主に企業向けに人事制度(評価、報酬、教育、組織)設計支援、社内外コミュニケーションデザインの構築と実行支援、教育・キャリアプログラム設計やツール開発、コーチング、マネジメントスキル講師業務等を提供しています。
風土改革プロジェクト、EQ(感情知性)コーチング、女性リーダープログラム、ダイバーシティプログラムの展開、人事部門への顧問業務などが今年の主な仕事です。
平日1日のスケジュールを簡単に教えてください。
6:00 起床。洗濯、メールチェック、本日のスケジュールの確認など
7:30 朝食後、息子を学校に送り出す
8:00 身支度を済ませ、仕事
9:00 出社(週4日はクライアント先、週1日はオフィスへ)
18:00 退社
19:00 家族と夕食
*NPO等の仕事が入っている時は、朝の時間に夕食を作っておいて、息子が一人で温めて食べられるように準備しています。
* 日々の習慣として、M20という心・技・体を軸にした自己メンテナンスをしています。具体的には、心:「は・か・ま」(=反省、感謝、学びを記録すること で、それぞれの頭文字をとったもの)、技:読書等のスキルを軸としたインプット、体:ウォーキングなどの軽い運動を各20分を目安に実施することです。
高校を卒業後、なぜ渡米されたのでしょうか?また、英会話講師から人事のスペシャリストに転身された経緯を教えてください。
高校を卒業したら日本を出たいと思っていました。それで伯母のいるアメリカに行ったのですが、4年生大学に行くよりも資格に挑戦してみようと思いTESL(第二外国語教授法)のコースに挑戦し、22歳の6月に日本に帰国しました。当時は、バブル全盛後期で、周囲の友人は皆売り手市場での就職でした。私も簡単に丸の内のOLになれると思っていましたが、新卒採用という枠には入れず、社会人経験もなく、大学卒でもない私を誰も相手にしてくれませんでした。ジャパンタイムズの採用情報20件に全て応募しても、面接をしてくれたのは3社のみで、その次に進めたのは0社でした。
それで、まずは社会人経験を積もうと思い、ECC英会話学校の講師と教務の職を得ました。ECCは就業時間外に社内の他のコースを割安に受講できるシステムがあり、ビジネスの世界での職をに就きたい気持ちから、日本語ワープロや秘書検定などのコースを受講しながら働きました。語学学校の仕事は様々な方々との出会いや学校運営などにも 関わることができ、大変楽しかったですが、やはりビジネスの世界に挑戦してみたかった。1年後、再度就職活動してマスターフーズリミテッド(現マースジャ パン)の人事アシスタントに採用されました。これが、私の人事キャリアのスタートです。
出産を機に退職されていらっしゃいますが、なぜ産休ではなく退職されたのですか?
妊娠が分かった時、アディダスジャパンで人事課長職についていました。当時は会社設立からまだ日が浅く、これから社内の制度整備をしていく段階でした。そのうちのミッションの一つが、女性社員が出産後も活躍できるような育児休暇・支援のしくみを整備することでした。制度がほぼ完成し「これで女性も出産後も 活躍できますね!」なんて言っていたところ、自分の妊娠が分かりました。私は、制度を作ったにも関わらず、退職することを選びました。
理由は、私の個人的な希望です。実は、私はなかなか子供に恵まれず、何年も不妊治療に通いながらようやく子どもに恵まれました。子どもに恵まれたら、いったんは仕事を離れて子育てをしてみたい、という希望がもともとあったことが第一の理由です。ただそれだけではなく、当時の会社は新たな制度整備や変化への対応に向けて、非常に忙しい時期。もともと出産前は時間を気にせずに夜遅くでも、朝早くでも仕事を続けるタイプの私には、この忙しさは想定内でした。ですが、子どもをもったとわかった瞬間、「この雰囲気の中では子育てと仕事は継続できない」と感じたのです。
個人としては、その時点で退職の選択をしたことは全く後悔していません。しかしながら、制度を整備したにも関わらず、社内の風土づくりや、意識を高める活動には及ばなかったことは、人事担当者としては失態といえるでしょう。
現在は、このケースを反省点として制度と風土、そして意識を高めることを強いメッセージとしてクライアント企業の仕組みづくりに活かしています。
当時は今よりもワーママの再就職事情は厳しかったのでは?と推測されますが、実際はいかがだったでしょうか?
子どもが生後半年になった頃、その数年前に面接をしていたファイザーの人事の方からお声掛けをいただき、再就職の運びになりました。「グローバルプロジェ クトの一環で、女性活用を含むダイバーシティや企業バリューの展開を推進する担当者を探している」というお話でした。子どもはまだ生後6ケ月、少し迷いましたが“せっかく自分が当事者となったのだから”と挑戦を決めました。
再就職よりも、大変だったのは保育園・保育サービス探しです。主人も私も両親の助けは得られないので、2人で仕事をしながら子育てをするにあたり、当時はまだまだ圧倒的に保育サービスが不足していました。保育園申し込みにあたり、“育休明け”よりも“再就職”はハードルがより高く、家の目の前にある公立の保育園に入園できたのは結局再就職から1年過ぎた頃でした。それまでの期間は、ベビーシッター、ファミリーサポート、認証の保育ルームと考えられるすべてのサービスを調べ、活用し続けました。区役所の保育課にも毎月通い、 情報を仕入れたりしました。自分が女性活用なども含めた担当になる、それに人事の仕事をつづける以上、女性活用は必須のテーマになると分かっていたこともあり、自ら積極的に様々なサービスを試してみることにしていたのです。それぞれのメリット、デメリットも分かり、その後の仕事にも役立ちました。
17時で帰れるように契約社員にしてもらったのに、仕事の量は正社員並みだったのですね。割に合わないと感じたことなかったですか?
そんな風に感じたことはありません。むしろ、好きな人事の仕事に携われて、仕事を続けていられることはありがたいと思っていました。時間や給与体系以外は、契約社員だからという区別はなく、正社員と同じように大事な仕事も任せてもらえたのでやり甲斐もありました。
もちろん、お給料の面では契約社員になったことで多少下がりましたし、ポジションも下がったことになります。最初は保育園も見つからなかったので、公立以外 の育児サービスの利用により月に10万円はかかってしまうのは痛い出費でした。それがずっと続く訳でないことも分かっていましたし、それよりも今目の前に ある仕事に携われることが将来につながるメリットと感じられました。仕事にしても育児にしても、家族や会社の上司・同僚、そしてママ友やご近所の方々も応援、支援してくれる方が多く、毎日泣き笑いのドタバタでしたが、頑張れました。
出産して、何が一番変わりましたか?
出産前の私は、仕事一本のドライな人間でした。「仕事さえできてれば、それでいいんでしょ?」みたいな考えでしたので、傍から見ると本当に嫌な奴だったと 思います(苦笑)。出産してからは、かわいい息子の存在と、周囲の方々のお蔭で、自分の人間性が少し向上し、視野が広がり、何より具体的な行動に移せるようになったと思います。一つの例として、出産前から必要性は感じていながらもなかなか行動に移すことができなかった“社会を視野に行動する”ことができました。NPOの活動に理事として携わっていることも、この行動に出た一つの結果だと思っています。
ワーママとして育児&仕事をしていて良かった~!と思うhappyなエピソードを教えてください!
子どもが1歳半になった頃、いつもの通り、仕事が終わって保育園に迎えに行って、急いで帰宅して夕食の支度をしていました。そんな時に、普段は一人でだまって遊んでいる息子が「ママ~」って呼ぶんです。振り返ると、私のパンプスをいたずらして両足に履いて、「見て~」と言わんばかりの笑顔の息子がいました。彼がいたずららしいことをしたのは、これが生まれて初めてでした。よく気づいたら、私はその日の帰り、一度も息子の顔をまともに見ていなかったと思います。この時期の私はいつも余裕がなく、「あーあれもやらなきゃ、これもやらなきゃ」といっぱいいっぱいになっており、息子をベビーカーに乗せながらも、 彼と話はしながらも、なんとなく上の空だったのでしょう。。。 息子は、かわいいいたずらで、私に気づかせてくれていました。なんだか嬉しくて、申し訳な くて、そんないたずらができた彼が誇らしくて、今思えばとってもハッピーな出来事です。その時の写真をとってあり、今でも時々眺めてはニヤニヤしていま す。
育児&仕事をしていて一番大変だったのは?
まずは、自分の時間が100パーセント取れなくなったことです。これは育児と仕事を両立させる場合に仕方のないことなのですが、今までは深夜12時まで自分のペースだけで仕事できていたのに、それが保育園のお迎えに行かなければならないなどの制約が出ます。昼間に安心して子どもの保育場所を確保すること (小学校に入れば学童なども含め)、そして、子供の急病への対応と時間のマネジメントは、他の皆さんと同様ですが、私も苦労しました。
それらをどうやって解決されたのですか?
子育てと仕事を両立させるためのタイムマネジメントのテーマは大きく2つあると思います。
1)限られた時間内でどうやって複数の仕事を進めるのか
2)急な 出来事への対応
です。 1)限られた時間内に終わらせる事については、「手帳を活用した情報一元化」(ライフもワークも一冊の手帳にまとめる)と「朝の20 分」の計画作成(朝20分のスケジュールの俯瞰で7時間の仕事を最大化させる)、そして全ての仕事をプロジェクト化(仕事だけでなく、全ての仕事をプロ ジェクトとみなして進めていくこと)にすること等を実施しています。また、一人で抱え込まずに、チームで成果を出すことも重要でしょう。
2)急な出来事の対応は、子どもの急病や自分の仕事の急な残業など、予想できる“急な出来事”を想定しておき、それについての対応策を用意しておきました。病児保育の手続き方法を確認し、用紙を事前にとっておく等です。相談できるホームドクター作っておくことも大切ですね。そして残業対応のためには、主人の予定も毎週確認しておき、自分が夜の予定がある時などは、アウトルックで会議招集を出したりしています。子どもの用事をお願いたい時も、招集しています。
パパとの家事・育児分担はどうしていますか?
夫がいるときはいろいろ手伝ってくれますが、結構忙しく、出張も多い人です。場合によっては2ヵ月以上も出張でいないこともあるので、普段の家事・育児は 主に私が担当しています。息子が小さいうちは、ベビーシッターさん2人体制で何とか切り盛りしていました。小学校高学年からは、シッターさんも必要なくな り、塾に通ったり、一人でいる訓練もしながら過ごしてもらいました。今では息子も中学生ですので、自分で夕飯を温めて食べられるようになりました。まだまだ心配はありますが、とても助かっています。
夫は土・日は、息子と一緒に共通の趣味のウィンドサーフィンに出掛けたりしていますし、料理も得意なので助かります。また、忙しいながらも、PTAの会長をしたり、積極的に育児や社会活動に参加する人です。
育児と仕事、それぞれで一番大事にしていることは?
出産後、再就職した際に決めていたことが1つあります。それは「週に2回は子供と夕飯を食べる」ということです。これが達成できるような仕事の方法を考えて実行する、または、これが実行できないような仕事であれば、やらないと決めていました。以来、週に2回は少なくとも子どもと一緒に夕食をとり続けています。変わったのはメニューだけ。10年前はカボチャのすりつぶしだったものが、今は生姜焼きやから揚げになっています。
育児面においては、子どもはもちろんですが、健康管理をすること。まず子供が健康でいてくれなければ、仕事は続けられません。毎朝の手作りジュースや決まった時間の就寝や食事、そして赤ちゃんの頃からできるだけ毎日外で遊ばせるようにしました。お蔭で、超不規則だった私も、彼のお蔭でとっても健康的になりました。
MBAを取得されたきっかけと、仕事と家事の両立のコツを教えてください。
20代の頃お世話になった上司に、「仕事の幅を広げるには経営の勉強を」と勧められたのがきっかけです。子供が生まれて2歳くらいの頃から考え初め、MBA に挑戦すること、小学校に上がる前に修了できるようにすること、集中して通うこと(仕事を辞める)、など自分の中でいくつか取り決めをして探しました。そうしたところ、当時、夜のコースをとらなくても修了でき、かつ保育園のお迎えに間に合う大学院は、私が通える範囲でたった1校でした。人事関係の著名な先生もいらっしゃり、すぐに入学を決めました。
大学院での勉強は思ったよりも大変なものでした。夜は毎晩遅くまで宿題とレポートに追われ、土曜日のコースや祝日も授業があるので主人は毎週家事育児を担当してくれました。この時期が一番家事に手が回っていなかったかもしれません。それでも、集中的に勉強するフィールドワークや発表の機会を通して、アウトプットの訓練ができたことは、私にとって本当によい経験になりました。
起業してみて、起業前には気づかなかった・分からなかった「楽しいこと」と「大変だったこと」があれば、教えてください!
起業して気づいたことは、上司や同僚のありがたさです。叱ってくれる、注意してくれる、意見してくれる、アドバイスをもらえる、そして冗談を言い合える、 会社という組織が大好きだった私にとって、一人で仕事をすることは、最初は本当に寂しいものでした。今では、組織や会社を超えて、会社員時代の上司や同僚 が引き続き相談にのってくれています。そんな意味では、会社員時代に人間関係を丁寧に作っておくことは、起業してからもいきてくると思います。
起業して発見した「楽しいこと」は、自分の決断で何でも挑戦できるというという事です。何を学ぶか、何に投資するか、誰と一緒にやるか、何をするか、どんなことも自分でゼロから描くことができます。自分が行きたい方向にアンテナを高くもち、自分の裁量で向かうことができることは何より楽しいことです。
逆に、「大変だったこと」は孤独に慣れる必要があることでしょうか。でも、これも最初のうちだけでした。今では、適度な孤独は必要と感じていますし、孤独だからできることも増えてきました。これも、大変を超えて、今では楽しみになっている気がします。
これからの目標を教えてください。
私は会社員時代から、3年周期くらいで仕事への取り組み方や立ち位置を変えています。これは、起業してからも同じです。今後挑戦したいことのひとつとして、 人事や人材育成に携わる若い方を育てていきたいと思っています。人事に携わる人たちが経営にもっと貢献できる存在になるように、経営に関わる人たちが、経 営資源における人や組織をより価値を置いて戦略的に考えていけるように、そして、会社だけでなく社会に貢献する視点と行動力をもっていけるように、そんな人材を育ていく事業を、より多様な仲間たちと一緒に展開させていきたいと思っています。
最後にメッセージをお願いします!
私のキャリアを振り返ると、子どもを持つ前の10年間と子供に恵まれてから10数年では、価値観も優先順位も変わっています。子どもといっしょにすごした10数年の方が、びっくりするくらい充実して学びが多く、関わる方々にさらに恵まれたものになっています。子どもやそこに関わる方々にパワーをもらい、時間が有限であることが意識できてきたからだと思います。挑戦する、違ったらやり直す、また挑戦する、いつも笑顔を失わずにいれば、いろんな世界が広がってくると思っています。最後に私の好きな言葉の一つを紹介します。
「自分にはできる、あるいはできるようになりたいと思ったら、とにかく始めること。大胆さが才能を生み、魔法を生む」(ヨハン・ゲーテ)
インタビュー : 安原 愛
構成:千田 絵美